ある家主 , 三人の居候

「恵比寿は日本で計画停電が行われていた時も一切停電しなかったんだぜ。」


大学入学当初、興味は無いがタダ飯をご馳走になれるサークルの新歓で出会ったのがこんな奴だったのだが、彼の家にはその数日後から僕が退学するまでの二年間、一銭も払わずお世話になるのである。


「この人嫌いです。」と冗談交じりに罵りその日は解散したのだが、彼のかけていた黒縁メガネに太い眉、吊り上がった一重の目と下品な口元が酷く脳裏にこびりついた。


数日後、自分と同じクラスで仲の良い清水が彼と話しているではないか。清水は名の知れた大学に受かったが麻雀に浸かり二年で三単位という結果を叩き出し、退学したのちこの大学を再受験し、再び一年生をしている。ちなみに僕達の大学も名前だけはよく知れているが、その実態はあまり知られていないのでは無いだろうか。この文章を通して少しでもその断片を知ってもらえるとありがたい。


さて、そんな清水と一緒にいた例の彼は名を"キタ"という。大学から徒歩5分の場所に十畳一間の部屋を持っていた。その時は清水と話すことが本望であったがキタとも話してみると、これがなかなかおもしろいことを話す奴であった。入学からひと月と経っていない今迄に、ある先輩を誘い込み周辺の砂で土器を焼いたというのである。これといって興味こそ無かったのだが、こいつは何かあるかも知れないと思い、その夜早速キタの希望により木片の彫刻が始まった。


木片の彫刻はその騒音により夜間の作業は中止せざるを得ず、彼の部屋へ流れ着く運びとなった。彼は会う人があるといい僕に住所を渡し、僕はそれに従いキタ家へ訪れた。簡素なキッチンと風呂場、トイレのある廊下を過ぎると十畳一間の落ち着いた空間があり

、そこにひとりの男性が座っていた。なんとも独特な雰囲気を醸し出しており、空虚というよりかは、何処かで悟っている様な、そんな人であった。僕は帰宅途中に買った緑のたぬきがいかにして美味しいかを語り、男性はじっとその話に耳を傾けうなずいてくれた。程なくして男性は帰宅し、キタが帰って来た。ことの事情を話すと「ああシンさんか」と、思い当たる節があったらしい。聞くとシンさんはキタと土器を作ったという先輩であるらしく、芸術の才に秀でているとのことだった。


翌日facebookを開きシンさんの名前を調べるとすぐにその人の写真がヒットした。投稿も定期的に行なっている様で、一番新しい投稿は昨日だ。内容は自分が双極性障害であるということが医師により正式に認められた、といった内容だった。昨夜会い、緑のたぬきの話をしてから一時間後の投稿だった。その日以降シンさんは大学へ訪れなかった。


大学は色々なことがあるものだ、と思っていた矢先、キタにデートの相談をされた。その頃には僕はもうすっかりキタ家の住人となり、立派に住み着いていたわけだが、デートの相談には躊躇を覚えた。追い出されるかもしれない。キタの好きな女性は自己管理の能力に乏しく、我が家で繁殖させたカビ菌を吸い込み肺炎の危機に瀕しているとのことだった。好みも人それぞれとはまさにこのことである。


程なくキタはその女性と爬虫類カフェへ行き、仲睦まじく家に帰ってきた。彼女と僕は直ぐに打ち解け、三人での共同生活が始まることとなった。どうやらキタの部屋は社長である父親が税金対策として契約した社員寮であるらしい。そんな訳でキタ本人も一人暮らしの部屋、というよりは秘密基地に住む管理人といった立ち位置でいるらしかった。「自分はこの部屋を提供し、様々な人が入り乱れる環境にしたい」と言ったキタの発言通り、間も無く様々な人や動物、生物がうごめく空間となるのであった。


「部屋に鶏を放したい」という電話が入ったのはその数週間後であった。電話主によると、近くの養鶏場から鶏をもらったは良いが飼う場所が無く、自分の住むシェアハウスでも断固として拒否されたため、ダメ元で電話したとのことだった。その頃ぼくは大学で寝泊りをしておりキタの家に行く頻度は落ちていたのだが、ひとまずキタ家の住所を送った。後のはなしによるとキタが部屋に入ると知らない人間が居眠りしており、側には三羽の鶏が鎮座していたとのことだった。


その人間こそが三人目の居候、スガであった。彼は猟銃免許を取得しており、定期的に鹿、猪、狸、アナグマなどの動物を狩って来てはキタ家で調理して振舞っていた。鶏は本人の行う食育に使うための年老いた鶏だった。ようやくマトモな人が出てきたついでに言うが、この話に出てくる人々は皆、財布に入っていたら幸せなあの人の作った大学に通っている。


そして語り部である私は一時期話題になった、成績底辺の不良少女が某有名大学に合格する話に心掴まれ同大学へ進みこうした日常

を送ったわけだが、どうしたわけか数日前に退学届を出し新たな生活を始めようとしている。キタの彼女はイモリを150匹飼っていた中で発見したその驚異的な治癒力の研究に時間を費やすため春から別の大学の研究棟に入り、スガは自著物の出版や更なる活動の拡大に向け奔走しているらしい。


こうして家主であるキタの一人暮らしが始まるわけだが、彼もどうやら春からカメラ片手にロシアへ行き、その光景をフィルムに焼き付けてくるとのことだった。結局誰も一人暮らしはしていなかったし、結局皆去って行った。あそこの部屋で暮らしていたのは誰だったのかも、今はもうよくわからない。